ある日曜日の、よく晴れた昼下がり。
季節は夏真っ盛りです。
森のあちこちでは、セミがミンミンと鳴いています。
ここはコメットさんがお世話になってる藤吉家。
いまはお昼ゴハンのあとの、一家だんらんの楽しいひととき。
居間のテレビでは、心霊特集番組を映し出しておりました。
いまの時期、こんな番組はちっとも珍しくありません。
ツヨシくんとネネちゃんに挟まれて、コメットさんもテレビを観ています。
でもじつはコメットさん、怖〜い番組を観るのは今日が初めてのこと。
最初は笑顔だったのですけど…。
どんどん沈んだ表情になっていき、今ではすっかり顔面蒼白。
頭から毛布をかぶって、ツヨシくんとネネちゃんと同じように、丸く縮こまってしまっています。
「あはは、コメットさんも怖いのは苦手かい?」
景太郎パパが後ろのテーブルから声をかけます。
さすがに大人なだけあって、まったく怖がってはいないようです。
「こ、こんなのってウソですよね?他のと一緒で、ぜんぶ作り物なんですよね。」
コメットさんの言う、他のとは、ドラマや特撮番組やコント番組のこと。
ツヨシくんやネネちゃんにつき合っているうちに、そんなものまで観るようになっていたのです。
そんなコメットさんに、すかさずツヨシくんが言いました。
「ちがうよ!オバケって本当にいるんだよ!」
「えっ!」
それはコメットさんにとって、まったく予想外のことでした。
続いてネネちゃんも言います。
「そうだよ!夜中に寝ないでずっと起きてると、白いオバケがやって来るの!」
「えぇっ!?」
今度はツヨシくん。
「手なんか、こうやってダラーンて下げて、『ねないこ だれだ〜』…。」
「・・・・・。」
コメットさんは、ガクガクブルブル。
代わってネネちゃん。
「でね、そのオバケに見つかっちゃうと…。オバケの世界へ連れていかれちゃうんだよ!オバケになって、とんでいけーっ!」
「も、もうやめてっ!」
とうとう耐えきれなくなったコメットさんは、スッと立ち上がると部屋の出口の方へと駆け出していきました。
戸口のところでハッとしたように立ち止まると、あっけにとられているみんなの方に振り向きます。
「エヘヘ…。わたし寒くなっちゃったから、外へいって暖まってきます。」
なんとか笑おうとしたのでしょうが、ひきつった笑顔はとても不気味です。
藤吉家のみんなは、すっかり言葉を失ってしまいました。
「あはは…。」
どう言っていいか分からず、みんなもひきつった笑顔を返して、コメットさんを見送ってあげました。
冷房の効いた家から外へ出たとたん、真夏の熱気を体中に感じます。
ですが今のコメットさんには、それさえも冷えきった体を暖めてくれるものではありません。
寒そうに腕を両手でさすりながら、庭のウッドデッキへとやってきました。
「ヒメさまぁ。ボーもすっごく怖くなっちゃったボ。」
胸にぶら下げたペンダントから、ラバボーが姿を現して地面に飛び出しました。
ですが彼もコメットさんと同じように、小さな体をガクガクと震わせて青い顔をしています。
きっとペンダントの中で、さっきの会話を聞いていたんでしょう。
「おいでラバボー。」
コメットさんの拡げた両手の中に、ラバボーがピョンと飛び込みます。
「オバケって本当にいるのかボ?」
「わかんないけど、ツヨシくんとネネちゃんがいるって言うんだからいるのかも?」
「星国にはそんなのいないボ。」
「うん。地球っておもしろいね。でもなるべくなら、会いたくないかな。」
「ボーもだボ。すっかり体が冷え込んじゃったボ。」
「わたしも。」
ギュッ…。
コメットさんとラバボーはお互いの冷えた体を暖めあおうと、いっそう強く抱き合いました。
こうしていると怖さでいっぱいだった心が、だんだん優しい気持ちであふれてきます。
不安でたまらないときは、誰かと一緒にいると元気になれるみたいです。
しばらくしたら二人とも、すっかり怖い気持ちはなくなってしまいました。
そうなると感じるのは…。
真夏のムンムンとした熱気と、照りつける太陽。
抱き合っている二人の額や頬に、汗の玉がいくつも浮かんできました。
「ラバボー…。」
「ヒメさま…。」
「暑くるしい!」
二人は同時に体を離しました。
「ボー達、いったい何してたんだボ。」
「お家に入ろ。ママさんがスイカ切ってくれるって、さっき言ってた。」
コメットさんは、クルッと玄関の方へと体を回しました。
「あっ!待ってだボ!」
ラバボーは急いで、コメットさんの胸のペンダントの中へと飛び込みます。
きれいに苅られた芝生の上を、コメットさんは軽やかに走っていきました。
そして…。
そんなコメットさんを、離れた場所から見ている人がいました。
藤吉家を見下ろせるほどの大木、その一本の枝に座った二人…。
コメットさんのライバルのメテオさん、そしてお付きのムークです。
「うふふ。聞いたムーク?」
「はい。コメットさまは、どうやら怖いものが苦手な様子。でもそれが何か?」
「コメットの弱点が分かったのよ。そこを攻めればわたしの勝ちじゃない。」
「攻めるとは?」
「こんなチャンスを生かさない手はないわ。徹底的にやってやるのよ。」
「はぁ…。で、どうするおつもりで?」
何を思い付いたのか、メテオさんが意地の悪い笑みを浮かべました。
「ふふふ、いいこと思い付いたわ!」
「いいことねぇ。なんだかイヤな予感…。」
メテオさんの思いつきは、たいていロクでもない結果になることをムークは知っています。
そしてそのとばっちりを受けるのも、また彼なのです。
「コメットを怖がらせてやるの。泣かせて、腰を抜けさせて、足腰立たなくしてやるわ。そうすれば、きっとさっさと星国に帰って隠れてしまうから、王子さまはわたしのものってことじゃない。」
「そんなに単純なことでしょうか?」
「ふふふ…。」
メテオさんはまた勝手な妄想を脹らませていましたが、これもいつものことでした。
「ふぅ…。」
どんなムチャないいつけでも、ご主人さまには逆らえません。
ムークはメテオさんに付き合うしかないと、覚悟することしか出来ませんでした。
その夜のことです。
コメットさんの部屋に、パジャマ姿のツヨシくんとネネちゃんが来ていました。
寝る前に三人で、トランプをして遊んでいるのです。
明日は日曜日。
だからいつもより少しだけ、夜更かししてもいいのです。
「はい。ネネちゃん、あがりー!」
「ツヨシくんもあがり!」
二人は手にした最後のトランプを、パッと投げました。
「コメットさん、トランプ弱い。」
「弱すぎる。」
「あ、あはは。また負けちゃった。」
コメットさんの隣では、ラバボーあきれた顔で眺めていました。
「ヒメさまは、こういうゲームが苦手なんだボ。」
「そんなことないもん。」
ちょっぴりムッと、コメットさんが答えます。
「今度はボーにやらせてみるボ。」
ラバボーは落ちているトランプを拾いはじめました。
「ラバボー、トランプ出来るの?」
「見てて、もう憶えたボ。」
「ふーん。じゃあわたし見てる。ラバボーが本当に強いのかどうか。」
「ボーにまかせるボ。」
そんなときでした。
トントン。
コメットさんの部屋の窓を叩く音に、みんな気がつきました。
「いま聞こえた?」
「聞こえた。聞こえた。」
ツヨシくんとネネちゃんが、コメットさんの顔を見ます。
「うん。コメットさんも聞こえた。お客さんかな?」
「でもなんだかヘンだボ?」
ラバボーの言うとおり。
なぜなら、コメットさんの部屋は地面からずっと高い位置にあるのです。
屋根にでも登ってこない限り、窓を叩けるはずもありません。
「もしかして、オバケだったりして。」
ネネちゃんの一言に、部屋の中がシーンと静まり返ってしまいました。
さっきまでの楽しい時間が、まるで嘘のようでした。
「ちがうよ。きっと風の音だよ。」
コメットさんが、わざと明るい声を出して言いました。
でもまた…。
トントントン。
もう風の音だなんて、言っていられません。
「コメットさ〜ん…。」
ツヨシくんとネネちゃんが、今にも泣きだしそうな顔でコメットさんに抱きつきました。
「大丈夫。コメットさんがついてるから。」
本当はコメットさんも、とても怖いのでいっぱいです。
でも、ツヨシくんとネネちゃんを守ってあげられるのは自分しかいません。
「だ、だれ?」
意を決すると、コメットさんは部屋の窓を思いきって開けました。
すると、そこにいたのは…。
「コメット…。」
「あれ、メテオさん。」
「メテオさん?」
メテオさんが窓の脇に立っていました。
訪問者がオバケでなかったので、とりあえず3人はホっとしました。
そのうち、メテオさんの様子がおかしいことに気がつきました。
沈んだ表情で、なんだか元気がありません。
それに、いつも必ず彼女の側にいるムークの姿も見当たりません。
「何かあったの?メテオさん。」
「こちらにムークがお邪魔してないかしら?」
「ムークさん?ううん、来てないけど。」
「そう…。」
メテオさんは、がっかりした様子で肩を落としました。
「ムークさん、いなくなっちゃったの?」
コメットさんは心配そうに、メテオさんに尋ねました。
「えぇ。夕方から姿が見えないの。どこへ行っちゃったのかしら…。」
「どうして?何かあったの?」
「じつは昼間につまらないことで言い合いになって…。もう帰ってこなくていいって言っちゃったのよ。」
後ろで聞いていた、ラバボーが呟きました。
「きっとメテオさんに仕えていることに、うんざりしたんだボ。」
「こら!ラバボー。」
「だって、ボーはそう思うボー。」
「ムークったら、どこへ行っちゃったのかしら?あぁ!心配だわったら、心配だわ!」
メテオさんは、今にも泣き出そう。
「大丈夫、メテオさん。きっとすぐ見つかるから、一緒に探しに行こっ。」
コメットさんの優しい言葉に、メテオさんはハッとして顔を上げました。
「一緒に探して下さるの?いつもあなたにイジワルばかりしているのに?わたしはあなたのことが好きじゃないのに?」
「あ、あはは。」
引きつった笑顔でコメットさんが答えます。
「だって、困ってるメテオさんを放っておけないよ。ムークさんのことも心配だし。」
「ありがとう、コメット!」
感激したのか、メテオさんはコメットさんに抱きつきました。
「あっ、メテオさん。」
コメットさんはどうすればいいのか、困った表情。
影でメテオさんは、いつもの意地の悪い表情でニヤリ。
『フフン。ちょろいものよ。』
またなにか企んでいるようです。
でもコメットさんには、メテオさんの表情が見えません。
メテオさんは何を企んでいるのやら、コメットさんのピンチです。
夏の夜空に、大きなアドバルーンが浮かび上がりました。
コメットさんとメテオさんを背中に乗せたラバボーです。
プゥッと空気をいっぱいに吸い込んで、まるで大きな風船のように、どんどん空高く飛び上がっていきます。
「でもヒメさま。探すっていっても、どこへ行ったらいいんだボ?」
「え〜っと…。」
とりあえず飛び立ったものの、コメットさんは何にも考えていませんでした。
「メテオさん、心当たりない?」
「そうねぇ。ムークが行きそうな場所…。あそこかも。それともこっちかも。ううん、むこうかもしれない。」
「そんなにいっぱいあるのかボ?」
「一件ずつ探していくしかないね。がんばって、ラバボー。」
「疲れるボー…。」
ただプカプカと浮かんでいるだけに見えるラバボーですが、ずっと飛び続けるのはけっこう疲れるようです。
「あ、待って!あそこ…。」
眼下に見える町を見下ろしていたメテオさんが、何かを見つけたようです。
「ムークさん、いた?」
「どこだボ?」
「あそこ、あのでっかい建物よ。」
メテオさんの指示通りに、ラバボーが着地したのは広い運動場。
ここは町の小学校です。
夜なので生徒や先生がいるはずもなく、周辺はシーンとしていました。
時折、近くの道路を走っていくクルマの音がかすかに聞き取れるぐらいです。
コメットさんとメテオさんが下りると、ラバボーはポンっと縮んで元通りの大きさになりました。
「ここにムークさんがいたの?」
「ええ。さっき窓からチラっと紫色の丸い物が見えたわ。ここよ、ここに違いないわ!」
メテオさんは、校舎の正面玄関の扉を押してみました。
すると扉は鍵はかかっていないのか、スッと開いてしまいました。
「きっとムークは、この建物の中ですねてるんだと思うわ。」
「でも、勝手に入って怒られないかボ?」
ラバボーが不安そうにコメットさんを見上げます。
「うーん。いけないことだけど…。ムークさんを見つけてあげなきゃかわいそうだし、少しだけお邪魔させてもらおう。」
コメットさんとラバボーは、メテオさんに続いて建物の中に入りました。
真っ暗なコンクリート製の校舎の中は、物音一つせず静まり返ってます。
「なんだか外より涼しいボ。」
「ちょっとヒヤっとするね…。」
「本当にこんなところに、ムークさんがいるのかボ?」
「だって、メテオさんが見たっていってる。」
「なに?わたくしの見間違いとでも言いたいわけ?」
メテオさんが、コメットさんとラバボーを睨みつけました。
二人はその迫力にたじたじです。
「そ、そんなことないボ。」
「うん、メテオさんのこと信じてる。一緒にこの中を探そう。」
「でも探すっていっても、かなり広いボー?」
三人が周囲を見回すと左手の方にも右手の方にも、真っ暗な廊下がずっと続いているのがわかります。
この広い建物の中で、小さなムークを探すことはとても大変そうです。
「こうしましょう。わたしは左に行くわ。」
「わたしとラバボーは右の方だね。」
「それが一番、高率がいいボ。そうするボ。」
コメットさんとメテオさんは、それぞれのティンクルバトンを出しました。
バトンの先端に星力を集めると、ポゥと光って懐中電灯の代わりになるのです。
「じゃあいくね。」
「あ。コメット。」
廊下に一歩踏み出したコメットさんを、メテオさんが呼び止めました。
「え?」
メテオさんの表情がいつになく真剣なことに、コメットさんは気がつきます。
「ムークはかけがえのない、わたしの大事なムークなの。どうかお願いね。」
いつも意地っ張りな彼女がコメットさんに素直に頼みごとをするのは、これが初めてのことかもしれません。
コメットさんは驚きを顔に出さないようにしながら、笑って答えました。
「もちろん。コメットさんにおまかせ。」
それだけ言うと、再びラバボーと一緒に暗い廊下を歩きはじめます。
ラバボーがそっと、コメットさんに言いました。
「ビックリしたボー。あのメテオさんがあんなに素直に、ヒメさまに頼みごとするなんて…。」
「しっ、ラバボー…!でも、わたしもちょっと驚いちゃった。」
バトンのピンク色の光が小さくなっていき、やがて向こうの角を曲がって見えなくなりました。
メテオさんは真剣な顔で、それを見守って立っていましたが…。
「ふふ…。うふふふふ…。」
その顔がどんどん笑いに崩れていきます。
「おーほっほっほっほっ!」
一通り笑うと、腕を組んでいつものおすましポーズ。
「おバカなコメット!なにが『コメットさんにおまかせ』よ!バッカみたい!」
その歪んだ笑顔からは、とてもさっき見せていたようなた表情が信じられません。
「ここまではバッチリ計画どおり。いよいよこれからが本番ね。」
メテオさんの目が暗闇の中で、キラっと光りを放ちました。
「作戦開始よ!」
とうとう本性を現しました。
でもコメットさんもラバボーも、そんなことは知るよしもありません。
ガララララ。
誰もいない教室の扉が開き、コメットさんとラバボーが顔を覗かせます。
「ムークさーん…。」
バトンの先で照らしてみても、真っ暗な教室にはキチっと並べられた机や椅子があるだけで、動くものの気配はありません。
念のために教室の後ろに置いてある大きなロッカーも調べてみましたが、中にはホウキやブラシなどの清掃用具が入っているだけ。
「ここも違ったみたい。次、行こ。」
「ずっと同じような部屋ばっかりだボ。ここは何の建物なんだボ?」
暗い廊下を照らして歩きながら、コメットさんが説明してあげます。
「ここはね。学校なんだって。」
「ここが学校?」
「うん。ツヨシくんとネネちゃんも、あと何年かしたら入るんだって、楽しみにしてた。」
「なんだか寂しいところだボ。だいいち輝きが全然ないんだボ。星国の学校とはちがうんだボ。」
「夜はみんなお家だから…。昼間に覗いてみたら、もっと輝きをいっぱい感じるんじゃないかな?」
コツコツと歩く二人の足音が、廊下いっぱいに反響しています。
聞こえるのは、自分達の足音と会話だけです。
暗闇を歩いているうちに、ラバボーはだんだん不安な気持ちになってきました。
「なんだか、イヤ〜な感じがするボ。」
「イヤな感じって?」
「昼間テレビで怖い番組を見た時に感じた、ゾワっとしたものだボ。」
その言葉を聞いたとたん、コメットさんの体にも昼間の寒気が蘇ってしまいました。
「こ、こら!もう、ラバボーったら!せっかく忘れていたのに、怖いの思い出しちゃったじゃない!」
「ご、ごめんだボ。」
ですが、今になっては後の祭りです。
さほど気にならなかった廊下のヒンヤリ感が、一層強まって二人の体を冷やします。
「さ、寒い。おいでラバボー。」
ラバボーがピョンと、コメットさんの腕の中に飛び込みます。
「ヒメさま、もう帰るボ。もうボーは寒くて怖くて、わけがわかんなくなってきたボ…。」
「そんなのダメだよ。ちゃんとムークさんを見つけてから、みんなで一緒に帰るの!」
さすがはコメットさん。
本当は怖い気持ちでいっぱいなのに、ちゃんと約束した責任をはたそうとしているのです。
そうこうしているうちに、次の教室の前に到着しました。
「開けるよ。」
「いいボ…。」
ラバボーはコメットさんの腕に強く捕まりました。
ガララララ。
扉の開くなんでもない音さえも、今の二人にはとても不気味に聞こえてきます。
さっきからコメットさんのムネの音は、ドキドキと高なりっぱなしです。
コメットさんは、バトンの光りで真っ暗な教室を照らしました。
「ムークさん、いますか…?」
今まで見てきた他の部屋と同じように、机や椅子がキチンと並べられた教室は動くものもなくシーンとしています。
「ふぅ。ここにもいないみたいだね。」
「待ってだボ。窓のところで何か動いているボ?」
「え?」
見てみると、たしかに窓のところでなにかフワフワとしたものが動いているのが分かります。
ドキドキしながらそこへ光を向けてみると、なんてことのない、窓際にかけられた白いカーテンでした。
「なんだ。ただのカーテンだよ。」
「でも、どうしてフワフワしてるんだボ?」
「きっと風だよ。お家にも入ってくるでしょ?フワフワ〜とした暖かくて心地いい、風さん。」
「でもおかしいボ。」
「なにがヘン?」
「だって…。窓はちゃんと閉まってるボ?」
「え‥?」
たしかにそうです。
他のいくつもの窓と同じように、この教室の窓も全部、きっちりと戸締まりされています。
風が入って来るような隙間はどこにもありません。
だとすれば、すぐ目の前でフワフワと動いているものは…。
二人は顔を見合わせました。
「えっと。ムークさん、そこにいますかぁ?」
コメットさんは、ドキドキしながらも大きく声をかけてみました。
フワフワとしていたカーテンの動きが、ピタッと止まりました。
と思うまもなく、次の瞬間。
白いカーテンはブワッと広がって、コメットさんとラバボーを包み込むようにして向かってきました。
「きゃあああああっっっっっ!?」
二人はすっかりパニック状態。
気が付くと廊下を、全力で駆け出していました。
「ヒメさま、あれは何だボ!?」
「わかんない!わかんないよぉ!」
必死で走るコメットさんの後を、空飛ぶカーテンが追いかけてきます。
その動きは、まるで自分の意思を持っているかのようです。
「追いかけてくる!追いかけてくるボぉ!」
「あぁん、もう!」
勢いよく角を曲がると、そこにまた別の教室がありました。
コメットさんは中に飛び込むと、ピシャっと扉を閉めてしまいました。
そのままじっと息をひそめていると、広がったカーテンはフワフワーと廊下を飛んでいってしまいました。
「ハァ〜、行っちゃった…。」
コメットさんは一安心。
走り疲れて、扉を背にその場にペタッと座り込みました。
「オバケだボ!オバケが出たんだボ!」
ラバボーはコメットさんの腕の中で、体を丸めてガクガクと震えています。
「ラバボーが怖いこと言うから!」
「まさか本当にオバケが出るなんて、思わなかったんだボ!」
落ち着いてから辺りを見回すと、そこは何か特別な教室のようでした。
どの机にも蛇口と流し台が設置されていて、壁際の棚にはビーカーやフラスコなどの実験容器がいくつも並んでいます。
今まで見てきた教室よりも広く、向こうに見える黒板の脇には、隣の準備室に繋がる扉もありました。
コメットさんには分かりませんが、ここは学校の理科室でした。
理科室独特のニオイが、コメットさんの鼻を刺激します。
「…なんだかここ、ヘンなニオイがするね。」
ようやくラバボーが隠していた顔を見せました。
「そんなこと、どうだっていいボ。もう本当に限界だボ!早く帰ろうボぉ!」
「でもムークさんが‥。」
「やだボ〜。やだボ〜。もうこんな怖いところに居たくないボ〜。」
ラバボーが泣きながら訴えます。
コメットさんも、本当は怖いのはイヤです。
「それじゃあ、メテオさんと一緒に探そうよ。三人一緒なら怖いのも平気でしょ?」
「二人きりでいるより、ずっといいボ。そうするボ。早く行こうボ。」
そうして、メテオさんを探しにいこうと、コメットさんが立ち上がろうとしたときのことです。
ガタンッ!
隣の準備室で何か物音がしました。
二人の位置から、そう離れていないようです。
体をビクッと跳ねさせたコメットさんは、ムネの音がまた高まっていくのを感じます。
「…なんだろ?」
「なんだかまた、イヤ〜な予感がするボ…。」
「そうだね。ここから出たほうがよさそう…。」
「そ〜っとだボ。」
二人はゆっくりと立ち上がると、静かに静かに出ていこうと扉を開けたのですが…。
バタンッ!
「ひっ!?」
部屋の向こうの隅の扉が、勢いよく開きました。
恐怖で固まった二人が目が離せないでいると、開いた扉から誰かが歩いて出てきます。
ですが、暗くてその姿はよくみえません。
影の人はどんどん近付いてきます。
ペタッペタッペタッ…
ムークではありません。
その背丈は、コメットさんと同じくらいのようです。
「だ、誰!?」
緊張したコメットさんの額に、汗が流れます。
コメットさんはバトンの先端を影に向けました。
星力の明るい光に照らし出された、その正体は…。
体を半分に切り開かれて、赤いおなかの中身まで見えてしまっているハダカの男の子。
そんな疑いようもない正真正銘のオバケが、今まさに二人にどんどん近付いてきているのです。
「ぎゃあああああぁぁぁっっっっ!!!!」
コメットさんとラバボーは今まで出したことのないような悲鳴を上げると、教室を脱出しようと転がるように駆け出します。
そのとき肩がぶつかってしまい、理科室の扉が枠から外れて倒れてしまいました。
バターン!
夜の校舎に大きな音が響き渡りました。
しかし誰も下敷きにはならず、扉の曇りガラスが割れることもなかったのは幸運でした。
でも、肩の痛みだけはごまかせません。
「あいたたた…。」
コメットさんが肩を押さえてしゃがんでいると、ラバボーが服の袖をグイグイと引っ張ります。
「ヒ、ヒメさまぁ!!」
ハっと振り返ると、体が半分のオバケがどんどんこちらに近付いてきています。
「ぎゃぁっ!ぎゃぁーーーっ!!!」
痛む肩のことも忘れ、コメットさんは廊下を全力失踪。
そのすぐ後ろを、男の子も凄いスピードで走って追いかけてきます。
「きゃーっ!追いかけてくるっ!?」
「怖いボ!怖いボぉ!」
「もう、イヤぁぁ〜っっっ!!」
誰もいなくなった理科室は、廊下に反響する二人の悲鳴と走る足音がだんだん離れていき、やがて聞こえなくなりました。
そして扉が外れてしまった教室は、再びシーンと静寂が戻ります。
そのときでした。
ガチャッ
誰もいないと思われていた準備室の扉から、また誰かが出てきました。
「ふふ…。うふふふふ…。」
それは、さっき別れたはずのメテオさん。
「あははっ!たまりませんわ!あの悲鳴!あの顔!」
どうやら、ずっと隠れて怖がるコメットさんのことを見ていたようです。
メテオさんは机をガンガンと叩きながら、おなかを抱えて大爆笑しました。
「きゃはははは!もう最高!おなか痛いったら、笑い過ぎておなか痛い!」
まるでとても愉快なショーを見た後のように、ケタケタと笑い続けました。
彼女がこんなに笑うのは、地球に来てから…いいえ、もしかすると生まれて初めてのことだったのかもしれません。
そう、今までの不思議な出来事の正体は、全部メテオさんの仕業だったのです。
星力で教室のカーテンを生き物のように操り、そして今度は理科室の人体模型を操って二人を襲わせたのです。
それは全て、コメットさんを怖がらせるためだけに。
「きゃーはっはっはっはっはっ!!」
笑いの勢いはちっとも衰えません。
そして、それから数分後…。
「はー、はー…。」
ようやくメテオさんは落ち着きを取り戻しました。
込み上げる笑いを押さえるのは大変でした。
平静を取り戻すまで、じつに十回も思い出し笑いをさせられたのですから。
「さぁて、そろそろ仕上げにかかるわよ。」
メテオさんはバトンを手に、スクッと立ち上がりました。
「ぶざまな泣き顔を見せてもらうわよ、コメット!」
そして、理科室のメテオさんが一人で笑い転げているころ、コメットさんとラバボーは必死の逃亡の真っ最中でした。
「もうっ!どこまでついて来るのぉ!?」
体半分の男の子オバケは、スピードをゆるめる気配もなく追ってきます。
角を曲がっても、階段を登っても、教室に隠れても、確実に追いかけてくるのです。
しかもそいつは全く喋らないどころか、まばたきも息継ぎもしていない様子です。
まさに不気味なこと、この上なし。
「はぁ、はぁ、もうやだよぉ〜!」
広い校舎をひたすら駆け回って、さすがのコメットさんも体力の限界です。
「ヒメさま!星力!星力を使うんだボ!」
コメットさんに抱かれているラバボーが叫びました。
「あっ!そっか!」
ラバボーに言われるまで、星力のことをすっかり忘れてしまっていました。
そうです、コメットさんには星力という頼もしい力があったのです。
「早くアイツをなんとかするボ!早く!急いでだボッ!!」
ラバボーは、コメットさんが捕まったら自分もおしまいだということが分かっているので、必死です。
「うん!」
コメットさんはその場でキキっと急停止。
クルッと振り返ると、今まで懐中電灯の代わりに使っていたティンクルバトンを構えました。
ついに戦う決心をしたのです。
追跡者はどんどん近付いてきます。
コメットさんはバトンをクルクルと回しました。
「幾千億の星の子たち キラ星の輝きを そして数多の力を わたしの星力にかえて…。」
コメットさんが呪文を唱えます。
「エトワール☆」
バトンをサッと振って、決めポーズ。
いつもなら、ここで星力がキラっと輝くはずでしたが…。
ところが、何にも起こる気配はありません。
「あれ…?」
「どうしたんだボ?」
「だ、ダメぇ!星力が足りないよぉ!」
「えぇーっ!?」
ちょうどそのとき、廊下を照らし出していたバトンの光りもフッと消えてしまいました。
「あぁっ!完全になくなっちゃった!」
コメットさんの星力が、一番肝心なところでカラッポになってしまったのでした。
「ムダづかいしすぎたんだボ!」
「どうしよう…!?」
「ここは…。」
チラっと見ると、オバケはもうすぐそこまで来ていました。
「逃げるしかないボ!」
「きゃーーーーっ!!!!」
必死の大逃走、再び。
頼みの綱の星力がなくては、もう逃げることしか出来ません。
でも、コメットさんの体力もすでに限界を超えていました。
「ふぅ…ふぅ…。もう走れない〜…。疲れた〜…。」
「もうダメだボぉ…。ボーたち捕まって、オバケの世界に連れていかれちゃうんだボぉ…。」
ラバボーはすでに、あきらめムード。
「オバケの世界ってどんな場所だボ?優しいオバケがいるといいボ…。」
「連れていかれる…?オバケの世界へ…。」
コメットさんは、昼間にツヨシくんとネネちゃんが話していたことを思い出しました。
「そんなのダメ!ツヨシくんとネネちゃん、パパさんやママさん、それに星国のみんなが悲しんじゃう!」
疲れていた体の中に、不思議な力が湧いてくるのを感じ取りました。
そう、このまま逃げているだけではダメです。
どうしたらいいか、考えないと…。
「ようし!」
コメットさんは正面の角を左に曲がると、再び教室の方に向かって走りました。
「どうするんだボ!?」
「戦うの!オバケの世界なんかに、連れていかれるなんてイヤだもん!」
「ムチャだボ!星力もないのに…!」
「でも、やらなきゃいけないの!ラバボーはオバケの世界に行きたい?」
「ぜったいにごめんだボ!」
「きまりっ!」
逃げるコメットさんを追いかけて、オバケも角を曲がってついてきます。
再び、教室の並んだ廊下へと戻ってきました。
コメットさんは一番近くの教室に飛び込むと、扉をピシャッと閉めました。
ですが扉にカギはないので、すぐに開けられてしまうことは明白です。
やがて追い付いた男の子が、扉の前に取り付きました。
ガラッ!
いとも簡単に扉を開き、オバケの男の子は、コメットさんとラバボーが隠れた教室の中に足を一歩踏み入れました。
そのときでした。
「たあぁぁぁぁぁっ!!」
勇敢な雄叫びを上げ、ブラシを両手に構えたコメットさんがオバケに飛びかかっていきました。
目をつぶって思いきり振ったブラシの柄の部分が、見事にオバケの頭にクリーンヒット。
ガシャーンッ!
オバケの男の子はいくつもの机を吹っ飛ばし、そのまま壁に叩き付けられました。
「はぁ、はぁ、はぁ…。」
「や…やったボ、ヒメさま!」
倒れたオバケは、もう動きません。
コメットさんの手からブラシがスルリと抜けて、床に落ちました。
足がガクガクと震えだして立っていられなくなり、その場にペタンと座り込みます。
「あぁ〜ん!怖かったよぉ〜!」
オバケを自分でやっつけて、気が緩んだのでしょう。
コメットさんは、とうとう泣き出してしまいました。
ラバボーも続いた緊張のせいで、さすがにお疲れ気味。
「もうメチャクチャ疲れたボ。家に帰って、早く寝ようボ。」
「うん。ヒック…ヒック…。」
一度出た涙は、なかなか止まってくれません。
「ムークさんのことも、きっと今ごろメテオさんが見つけてる頃だと思うボ。」
コメットさんは、ハッとしました。
「そうだ、メテオさん!」
涙を拭いて立ち上がると、教室を出て廊下を再び駆け出します。
「あっ!待ってだボー!」
その後ろを、ラバボーがピョンピョンと追いかけます。
メテオさんはずっと一人で、オバケの出る建物の中を歩いているのです。
ラバボーと一緒にいた自分でも、言葉では言い表せないほど怖い思いをしました。
一人ぼっちのメテオさんは、どんなに心細い思いをしていることでしょうか。
そのことを思うとコメットさんの心は、ギュッと締め付けられました。
もう、とっくに星力も底をつき、辺りを明るく照らしてくれるような光はありません。
コメットさんは何も見えない暗闇の中を、窓から差し込む月と星の明かりだけを頼りに走っていました。
でも、そんなことはちっとも気になりません。
助けてあげなくちゃ、いけない友だちがいる。
自分を待ってる友だちがいる。
「いま行くからね、メテオさん。」
二人が走っているのは三階で、この建物の一番上です。
おそらく、メテオさんはここより下の階のどこかにいるはず。
コメットさんとラバボーは、下へと続く階段の前までやってきました。
そして、いざ階段を駈け降りようとしたときのこと。
「ご無事でしたか、コメットさま!」
とつぜん二人の目の前に、真っ黒なものが降ってきました。
「ぎゃあっ!?」
コメットさんもラバボーも、またまたビックリ。
「すいません、驚かせてしまいました…。」
ですが、さっきまでとはちょっと様子が違うようです。
「あれ?なんだか聞き覚えのある声だボ?」
「え…。」
落ち着いてよ〜く見てみると…。
「わたしです。ムークです。」
空から降ってきた黒いかたまりは、探していた当の本人、ムークさん。
「ムークさん!?」
「よかった!ずっとみんなで探してたんだよ!」
ところが、ムークはなんだか浮かない表情。
「どうしたんだボ?まだ帰りたくないのかボ?」
「聞いて、ムークさん。メテオさんもあなたを探して、ここに来てるの。」
「そうだボ。うちのヒメさまに頼みにきたんだボ。ムークさんのことが心配だったんだボ。」
「メテオさんは、ムークさんのことが本当は大好きなんだよ。だから一緒に帰ろ、ね。」
ムークは、しばらく黙って二人の言葉を聞いていました。
しかし…。
「コメットさま!どうもすいませんでした!」
ムークは突然その場で、土下座してしまいました。
「ちょ、ちょっとムークさん?」
「いいえ、ちがうんです!じつは今までのことはすべて…!」
「え?」
ガッシャーン!
ムークが何かを話しかけたとき、突然、廊下にもの凄い音が響きわたりました。
「こんどは何!?」
音の方向を見た、コメットさんとラバボーは思わず目を疑いました。
なぜなら、さっき倒したはずの男の子のオバケが、扉を蹴り倒して飛び出してきたのです。
ドタタタタタッ!
しかも、オバケの走るスピードはさらに速くなり、さっきまでとは比べ物にならない勢いでこちらへ向かってきます。
さらに、その後ろ。
何か、白いものがフワフワと飛んでいます。
なんと、一番最初に出会ったカーテンのオバケが、彼に合流したようです。
二体のオバケがガッチリと手を組んだ瞬間でした。
それらは、もう素晴らしい速さで、コメットさんとラバボーとムークのいるところを目指してきます。
「ひいいぃぃぃっっっっ!!!!」
コメットさんもラバボーも、もう大パニック。
「なんで、なんで!?さっきやっつけたはずなのに!?」
「オバケだからだボ!オバケは不死身なんだボ!」
「いえ、ですからあれは…。」
ムークがとても大切なことを言いかけていましたが、今の二人はそれどころではありません。
「どうしよ!?」
「逃げるしかないボ!!」
二人は最後の気力で立ち上がりました。
階段を降りて走れば、もう出口はすぐそこです。
「いくよ、ラバボー!」
「了解だボ!」
「ほら!ムークさんも早く!オバケに連れていかれちゃう!」
「いえ!ですから聞いてくだ‥!」
「う、うわぁ!?来ちゃったボぉ!!」
ズザザザザーッ!
予想以上のスピードで、オバケは三人のいる場所まで到着。
男の子の顔には、コメットさんにブラシで殴られた後がベッコリとへこんでいます。
無表情なその顔は、怒りと復讐心にたぎっているようにも感じとれました。
彼の背後では、真っ白いカーテンが風もないのにバサバサとなびいています。
「あわわわわ…。」
コメットさんも、その腕の中のラバボーもすっかり顔面蒼白。
青い顔をしてガクガクブルブル。
その足元にいるムークだけが、なぜか、やれやれといった表情をしていました。
窓から入って来る月明かりに照らされて、オバケの目がキラッと輝きを放ちました。
それをきっかけに、張り詰めていたコメットさんの緊張が爆発。
「いやぁぁぁぁっっっ!!!!」
コメットさんは回れ右をすると、目の前の階段を一気に駈け降りようとしました。
ところが、足元にいるムークの存在をすっかり忘れてしまっていました。
慌てた足に丸いムークの体がもつれてからまり、コメットさんはバランスを崩してしまいました。
「わっ!」
しかも運の悪いことに、倒れる場所に床はありません。
「ぎょええええぇぇぇぇっっっっっ!!!!」
ゴロゴロゴロゴローッ!
それぞれ三人はからみあったまま、もの凄い勢いで階段を転がり落ちていき、あっという間に見えなくなってしまいました。
しばらくの沈黙の後…。
ドッカーン!!
学校中に響き渡るような大音響が、校舎内を駆け巡りました。
その後は、再び夜の学校に静寂が戻りました。
少し前まで三人がいた場所に、誰かが姿を現しました。
「ふふ…。」
その正体は、ご存じメテオさんです。
「うふふ…。落ちていった…。ここから下までまっ逆さま…。ふふ、うふふ…。」
コメットさんが消えていった暗闇の向こうを、にんまり顔で見下ろしています。
「ぎゃ〜はっはっはっ!落ちた!落ちた!落ちたったら、落ちたのよぉ〜!!」
メテオさんは大爆笑。
「ひ〜ひっひっひっ!あの顔!悲鳴!しかも最後は落ちたのよ!下まで一気に落ちてドカーンよぉ!」
涙まで流しながら廊下の床の上を、おなかを抱えて転げ回っています。
「ダメぇ!笑いが止まらないったら、止まらない!ひ〜っひっひっひっ!おなか痛い!おなか痛い!」
メテオさんはすっかり笑い魔と化しています。
さっき理科室であれだけ笑ったというのに、その勢いはまるで衰えません。
「ぎゃはは‥ゴホッゴホッ、息が出来ない!おかしすぎて息が出来ませんわ!死ぬ〜。死ぬ〜。」
苦しそうな声を出すメテオさんですが、その顔はとても幸せそう。
「あ〜ダメ…。これ以上笑ったら、本当に死んでしまうわ…。でも…ふふ。うふふふふ。」
さっきのコメットさんの顔と声を思い浮かべたら、どうしても笑いが込み上げてきてしまうのです。
「ぎゃははははははは!!!ひ〜っひっひっひっひっ!!!」
メテオさんは笑いました。
今まで生きてきた中で、笑った量を合計してもまだ足りないぐらい、笑い転げました。
こんなに笑うのは、本当に久しぶりのことです。
そして…。
「はぁーはぁーはぁー…。」
長い時間をかけて、ようやく笑い疲れたメテオさんの呼吸が元に戻りました。
「笑ったわ。この先10年分ぐらい、笑ってしまったわ。あー、疲れた…。」
メテオさんは立ち上がると、大きな伸びをしました。
「んー。なんかムークまで一緒に落ちていったようだったけど、仕方ないわね。わたくしを裏切ろうとした罰ですわ。」
なんて冷たい人なのでしょう。
「さっ、帰ろっと。」
コメットさんを見事に罠にはめて、メテオさん大満足。
ムークの存在などすっかりなかったことにして、家に帰ることにしました。
役目をはたした人体模型とカーテンに、さっとバトンを向けました。
「ご苦労さま。あなた達も自分の居場所に帰りなさい。」
バトンをサッと振ります。
ところが何にも起こりません。
「…あら?」
もう一度やってみても同じでした。
どうやらメテオさんの星力も、なくなってしまったようです。
「あ〜、もう!どうしてこんなときに切れるのよ!」
力の源である星力がなくては、人体模型もオバケも元には戻せません。
「あーあ。わたし、しーらないっと。」
メテオさんはクルっと回れ右をすると、このまま放っておいて帰ろうとしました。
ズズズ…ズズズ…
「あ〜!もう!どうして星国の王女のこのわたくしが、こんな力仕事をしなきゃいけないのぉ!」
脇にカーテン、背中に人体模型を引きずって、メテオさんは暗い廊下をゆっくり進んでいきます。
さすがはメテオさん、散らかしたままで帰ってしまうなんて、そんな無責任なことはしないのです。
この辺りの倫理観はしっかりとしているのが、彼女のいいところ。
メテオさんは、倒れた扉を枠にはめて元通りにして、それから教室のカーテンをフックにかけ直しました。
「あ、あとはこいつで最後…。」
理科室を目指して、重い人体模型を引きずってゆっくり進んでいきます。
星力さえあればこんな苦労はしなくて済むのですが、今さらそんなことを言っても仕方がありません。
メテオさんは汗を流しながら、目的の教室を目指しました。
夜中とはいえ、季節は真夏の熱帯夜。
理科準備室に到着したころには、もうすっかり汗だくでした。
「はぁ、はぁ、はぁ…。よ、ようやく着いた…。あー、疲れたー…。」
つぶやきながら、背中の人体模型を床に降ろします。
「早く帰って、おフロ入って寝よ…。」
腕で額の汗をぬぐいます。
「えっと…。」
メテオさんは、壁に立て掛けてある大きなケースの前へ向かいました。
木の枠で出来た大きな箱は、正面の扉がガラスで出来ていて中が見えるようになっています。
左の扉は空っぽでしたが、右の扉には等身大のガイコツの模型が入っていました。
メテオさんは、ここから人体模型を外に出したのです。
「うぅー…。重いぃぃぃ…。」
苦労しながらも、なんとか人体模型を中に収めることが出来ました。
扉を閉めてロックすれば、片付けは終了です。
ヘコんだ部分だけはどうしようもないので、気付かなかったことにしておきます。
「ふぅ〜、やっと終わった。」
メテオさんは、近くにあったローラーのついたイスにドカッと体重を預けました。
慣れない重労働のせいで、体がもうフラフラです。
少し休憩しないことには、一歩も動けそうにありません。
一息ついたメテオさんは、何気なく人体模型とガイコツの模型が並んでいるケースに目をやりました。
「こんなものが怖いなんて…。コメットも意外と情けないのね。」
人体模型の作り物の目と、ガイコツの目の部分の黒いくぼみが、無表情にメテオさんのことを見つめ返しています。
「・・・・・。」
無情にも体を切り開かれて、見せ物になっている男の子。
骨になってからも安らぎを与えられることのない、哀れなシャレコウベ。
とは言っても、どっちも作り物のなんでもないプラスチックの人形です。
でも、自分の想像したことで怖くなる、そんなことは誰にでもあるもの。
いまのメテオさんが、まさにそれでした。
何とも思わなかったこれらの模型が、なんだか不気味なものに見えてきてしまったのです。
そして、一度そうなってしまったら、どんどん怖くなってしまうのが人というもの。
いつの間にか汗は引き、体が冷え込んできました。
ついさっきまであんなに暑かったことが、とても信じられません。
「す、少し冷え込んできたようね。うぅ、寒くなってきたじゃない…。」
しかし、気温はちっとも変わっていません。
低下しているのはメテオさんの体温の方。
ドサドサドサ!
「ひっ!」
メテオさんの背中がぶつかって、机に置かれていたファイルの束が床に落ちました。
「も、もう!なんなのよ!」
ブツブツと文句を言いながら、ファイルを拾い上げて乱暴に元に戻しておきます。
「さっ!お家に帰りましょっと!」
わざと陽気な調子で声を出して、イスから勢いよく立ち上がりました。
チラッと横目で見ると、箱の中の哀れな死者がまだ自分のことを睨んでいます。
「ひっ!」
慌てて目をそらしたメテオさんは、もう二度とそっちの方は見ないで済むようにクルリと窓側を向きました。
横になったままの体勢で、カニのようになりながら理科準備室の扉をくぐります。
「うぅー。威厳もなにもあったもんじゃないわね…。」
横向きでヒョコヒョコと歩く姿がかっこ悪いことは、ちゃんと自覚しているようです。
後ろ手で扉を閉めると、理科室の中を走り抜けて廊下へ飛び出しました。
メテオさんの目的は、すでに達成されました。
コメットさんを驚かして、腰を抜かせて、泣かせてやったのです。
メテオさんの計画は、見事に完璧に大成功。
おまけに、後片付けもバッチリです。
こんな場所に、いつまでもいる必要はありません。
このまま家に戻ったら、気分よくおフロに入って汚れを落とし、暖かいベッドで今日の疲れを癒すだけ。
あとはこの建物から外へ出れば、暖かな家に帰れるのです。
「えっと、出口は…。どっちだったかしら?」
右を向いても左を向いても、先の見えない廊下がどこまでも続いているだけです。
ここの廊下は、こんなにも暗く長いものだったでしょうか?
辺りは物音一つせず、シーンと静まりかえっています。
聞こえるのは自分の息遣いだけ。
辺りを明るく照らしてくれる星力は、もうないのです。
「・・・・・。」
周囲の闇が、自分に迫って来るような錯覚さえ覚えてしまいます。
今さらながら、自分はこの大きな建物の中で一人きりでいるんだということを、思い知らされてしまいました。
「こ、こんなときにムークはどこへ行ったのかしら?ったく!肝心なときに、役にたたないんだから!」
自分がコメットさんと一緒に階段の下へ突き落としておきながら、この言いようはありません。
しかし、いない者に不満をぶつけてみても、ここから出られるわけもなく…。
なんとかこの暗闇の中で、出口を探さないといけません。
いよいよとなれば、窓のカギを開けてそこから外へ出るまでです。
その為にも、一階へ降りる為の階段を見つけなくてはいけません。
「と、とにかく、こっちへ行ってみようかしら…。」
弱気につぶやくと、廊下を右の方に進もうと足を踏み出します。
まさにそのとき、メテオさんの肩を誰かがポンと叩きました。
「ひーーーーーーっ!!!!」
メテオさんは、もう驚いたのなんの、ビクッと体を跳ねさせてしまいました。
そして、肩を叩かれたら反射的に振り向いてしまうのが人間です。
「だ、誰!?」
振り向いたメテオさんが見たものは…。
「ぎ……ぎゃああああああっっっっっっ!!!!!」
血まみれのコメットさんと、ボロボロになったラバボー、そして主人にあまりにヒドイ仕打ちを受けて涙を流すムーク。
それは成仏できない三人の、哀しい哀しいオバケの姿でした。
腰を抜かせてへたりこんでしまったメテオさんを、恨めしそうな目で睨みつけます。
「・・・・・。」
メテオさんは口をポカンと開けたまま、信じられないといった様子で三人のオバケを眺めることしか出来ません。
血まみれになったコメットさんが、憎しみのこもった声で言いました。
「ひどい…!ひどいよ、メテオさん…!」
ボロボロになったラバボーが続けます。
「なにもかも、みんなメテオさんのウソだったんだボ!信じられないボ!」
とめどなく涙を流しながら、最後にムークが言いました。
「ヒメさま、今回のことはあまりにヒドイです。ムークはヒメさまに裏切られた気分…。うぅ…。」
メテオさんは何かを言おうとしているようですが、咽から出るのはかすかな悲鳴だけ。
「ひ…ひ…。」
三人が睨みます。
「メテオさん…!」
三人がメテオさんに迫ります。
「メテオさん…!!」
その直後でした。
ガクガクと震えていたメテオさんの目に大粒の涙が浮かんだかと思うと、ドーッと一気に流れだしました。
「わっ!?」
三人は全く予想外の出来事にビックリ。
長い沈黙がその場を包み込みました。
耳をすましてみると、メテオさんが口をパクパクさせて何かを繰り返しつぶやいてます。
「…さい…。ごめ…さい…。ごめんなさい…。ごめんなさい…。ごめんなさ‥。」
顔をいっぱいにクシャクシャにしたその姿は、まるで小さなこどものよう。
あまりに哀れなメテオさんのその姿に、三人はもうそれ以上、何も言うことが出来ませんでした。
コメットさんは、右手をメテオさんに差し出しました。
「もういいよ、メテオさん。今回だけは許してあげる。」
「コメット…。」
「お家に帰ろ。いつまでもそんなところで座っていたら、カゼひいちゃう。」
「へ…お家…?」
そんなコメットさんのいつも通りの明るい声に、メテオさんはショックを受けました。
コメットさんは自分の身になにが起こったか、気がついていないのです。
「あ、あなた達が家に帰れるわけ…ないじゃない…。」
「どうして?」
コメットさんが、いつもの屈託のない笑顔を向けます。
「わからないの…?あなた達は、もう、し…死んでオバケになってしまったんですもの…。」
「オバケ!?」
その言葉に、三人はビックリ。
メテオさんは土下座して、必死に謝りました。
「ごめんなさい!ごめんなさい!軽いイタズラのつもりだったの!でもまさか、あなた達が三人揃ってオバケになっちゃうなんて、思いもしなかったのよぉーっ!!」
一生懸命謝るメテオさんに、ムークが近付いて肩をポンと叩きました。
「ヒメさま。われわれはみんな生きてます。」
今度はメテオさんがビックリして顔を上げました。
「へ…!?」
コメットさんはその場で、クルリと一回転して見せました。
「わたし達オバケなんかじゃないよ。ほら、足だってちゃんとついてる。」
「えぇ…!?」
ラバボーが得意げに言います。
「ボーがいなかったら、みんな本当に大ケガしているとこだったんだボ。」
「そうだね。ラバボーがとっさに脹らんでくれたから、わたしも額をちょっぴり擦りむいただけで済んだんだね。」
そうなのでした。
冷静になった目でよく観察してみると、コメットさんは大ケガなどしていません。
血まみれに見えた顔には、ほんのちょっぴり血が滲んだ後があるだけ。
心が怖いのでいっぱいのときは、ありもしないものが見えてしまうもの。
あらためて目の前の三人を見てみると、誰もオバケのような雰囲気を漂わせている者はいませんでした。
みんな元気でピンピンしています。
「・・・・・。」
メテオさんの目に、再び大粒の涙が浮かんで流れ出しました。
「うわぁ〜ん!!わぁぁぁぁ〜〜〜〜ん!!」
メテオさんは泣きました。
子供のように泣きました。
こんなに泣いてるメテオさんを見るのは、三人とも初めてのことでちょっととまどい気味です。
どう言ってあげればいいのかわからず、顔を見合わせるだけでした。
プライドの人一倍高いメテオさんがこんな醜態を、しかも永遠のライバルであるコメットさんの前で、晒してしまったのです。
その屈辱はいかほどのものでしょう。
コメットさんは下手な慰めは逆効果だと、あえて何も見なかったことにしました。
「そ、それじゃあ、メテオさん。わたしとラバボーは、もう帰るね。」
「ひっく…ひっく…。」
メテオさんは泣くばかりで、コメットさんの話など聞いていません。
「あはは‥。メテオさんもパパやママが心配するから、早くお家に帰った方がいいよ。」
コメットさんは、そっとムークに話しかけました。
「わたし達はいなくなった方がいいと思うから帰るけど。ムークさん、一人でも大丈夫?」
「そうですね。ヒメさまもそうして頂いた方が、気が幾分ラクでしょう。あとはわたくしめにおまかせを。」
「おねがいね。」
「はい。今夜はどうもご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした。」
「もういいよ。じゃっ。」
ラバボーを抱いたコメットさんが、タタタッと廊下を走って帰っていきました。
オバケの正体が判明した今、もう暗い廊下も怖くなんかありません。
あとに残ったのは、泣きじゃくっているメテオさんと、そんな彼女を心配そうに見守るムークでした。
「ヒック…ヒック…。」
「ヒメさま。もうそろそろお帰りにならないと…。家の者に余計な心配をかけてしまいます。」
ガシッ!
「ひぃっ!?」
グワっと伸びた手が、ムークの丸い体をひっつかみました。
メテオさんが、とても恨みと憎しみのこもった低い声でつぶやきます。
「…星力。」
「へ?」
「星力を集めるわよ、ムーク。」
「いったいどうするおつもりで‥?」
ムークを掴む手に、さらに力が加わります。
「グェッ!くるし‥!」
「決まってるじゃない!!コメットとラバボーの記憶を、消すのったら、消すのよぉっ!」
「ム、ムリです!ヒメさま!」
「どうして!?」
「星国の人間に、星力を使ってそんな乱暴なことは出来ませんよ!」
「うっ!!そ、そうだった…。」
メテオさんは、以前に星力を使った攻撃がコメットさんに対して全く無力だったことを思いだしました。
「それじゃあ、今夜のことは…?」
「コメットさまとラバボーの、地球での思い出として残るでしょうな。」
「あぅ…。」
「さすがにメモリーボールに記憶するようなことまでは‥グエェッ!」
ギュゥゥゥゥ〜〜〜〜ッ
メテオさんの細い指が、ムークの体を力いっぱい締め付けます。
「あ・ん・た・の・せ・い・よ!!」
「そんなこと言われましても‥!」
メテオさんは手に握った丸いものを、思いっきり壁に向かって投げ付けました。
「あんたなんて首よ!もう家に帰ってこないでっ!!」
「ひょえぇぇぇ〜〜〜っ!!」
ベシャッ!
あわれ、ムーク。
ペッタンコになって、ズルズルと床にずり落ちました。
「あぁーーーーーっ!!もう!!悔しいったら、悔しいじゃないのよーーーーーーっ!!!!!」
メテオさんの絶叫が、夜の誰もいない校舎に響き渡ります。
そして、そんなときでした。
「誰だ!そこで何をしている!?」
懐中電灯の明るい光が、周囲を明るく照らし出しました。
騒ぎを聞き付け、不信に思った警備会社の人間が学校に駆け付けてきたのでした。
「こっちにいたぞ!おい、そこを動くな!」
ついていないときは、とことんついていません。
メテオさんは落ちていたムークをひっつかむと、廊下を全速力で駆け出しました。
「まてーっ!!」
いつもなら星力でなんとでも出来るのですが、今夜のメテオさんは逃げることしか出来ない無力な存在です。
集まってきた警備員に追い掛けられながら、こんな時間に廊下を全速力で逃げている自分の身が悲しくなってきました。
それもこれも、全部コメットさんのせいなのです。
「うぅ、コメットのバカァーーーーーーっっっっ!!!!」
初めて書いたコメットさんの小説です。
まだまだアニメを見始めたばかりで知識が中途半端なままの筆記ですので、後々おかしな設定とかでてきそう。
2004年9月に加筆修正しました。
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